太田RCの歩み

太田RCは、今年で創立56周年を迎えます。

歩んできた時間の中にはたくさんのエピソードがありますが、全てを書き記すことはできませんので、その中より「海外との交流」に関することと、太田RCのいわば「顔」であるバナーについて、ご紹介いたします。

「太田 と 大田」

太田RCは、韓国のニュー大田(テジョン)RCと姉妹クラブの縁を結んでいます。

1970年、当時のニュー大田RC 朴会長より、「太田と大田は非常に文字が似ているので、これを縁として姉妹クラブの関係をもちたい。」と英文の手紙をいただきました。

様々なやり取りの末、翌71年10月、大田市において結縁式が挙行され、二つのクラブは正式に姉妹クラブとなりました。 ロータリー精神に基づき、日韓両国の理解と親善を深めていくため、最善の努力をしようと誓い合ってから約40年。夏休みを利用して行う「夏季交換学生プログラム」等を通して、二つのクラブは交流を続けています。

「稲村ケ崎 名将の」

太田RCバナー

「剣 投ぜし 古戦場……」文部省唱歌「鎌倉」は、このような歌詞で始まっています。

その歌詞のもととなったのは、「太平記」のエピソードの1つです。いわく、鎌倉は天然の要害、攻めるに難い土地であったが、進軍に際し新田義貞が海に太刀を捧げ祈ったところ、その祈りに龍神が呼応し潮が引いて、義貞は稲村ケ崎を突破、鎌倉へ攻め入った……。

太田ロータリークラブのバナーに描かれているのは、まさにこの場面。義貞が剣を掲げ、祈りをささげるシーンです。

新田義貞は太田市の郷土の偉人であり、東武伊勢崎線太田駅北口には、新田義貞と弟の脇屋義助の銅像も建てられています。

クラブ創立当初のバナーは、ロータリーの徽章の下に「OTA JAPAN」と書かれただけのシンプルなバナーでした。作成してくださったのは、こちらも太田市に縁の深い、富士重工業株式会社の意匠室の方々です。

現在の形(左写真)になったのは、昭和56年、クラブ創立25周年を迎えた年です。

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